自由にものが言える人になれ

                   平成25年12月25日

 

 福沢諭吉の学問のすすめの中に「自由にものが言える人になれ」とあります。

 

 学問のすすめは、明治時代に生まれた書物です。その時代は、厳しい身分制度を基礎とした社会から、全ての国民が平等な地位を基礎とした社会へと変貌しようとしている時代です。自分の意見は勿論の事、職業さえも自らの地位に基づいて制限がされていたのに、少しずつ自由が与えられていく大変革があった時代です。

 鎖国を柱とした国づくりが、外国からの圧力により開国せざるを得なくなったとき、外国からの文化が、国民に津波のように押し寄せて入ってくる。そうすると、国民は自分達の地位がいかに不自由であるかが分かりはじめ、都合の良い文化だけを取り入れ、主張ばかりする輩が現れたのです。そのため、当時の日本人3,000万人をコントロールする事は出来ず、またその内乱につけ込んで諸外国の植民地化が始まろうとしていたのです。これを心配して「学問のすすめ」が発刊されたのではないでしょうか。学問のすすめの内容は、新しい時代の国家の運営とは、諸外国からの支配を避けるため、日本人が独立して行くための基本的な事が書かれた書物なのです。この本に書かれている事は、私達にも大変役に立ちます。中小零細企業にも、これからやって来るグローバル社会をいかにして生き抜くか、これが書かれているのです。企業で働く1人1人が、自らの意志を持つことが大切であり、これが企業を支えると書かれています。経営者の言うことにただ従い、不平不満はあるが、言われたことだけを毎日繰り返し行う。企業の舵取りに対する責任はなく、文句ばかりを言う人で構成された企業は生き抜くことは出来ないと言っています。

 「無能な人間ほど恥を知らない。自分の無知を反省する能力が無いから、金持ちを怨み、ときには集団で富者をおそう。自分は国の法律に守られながら、自分に不利な場合には平気で法を破るのである。」とあり、こうした人の集団を治めるためには、政府は厳しい制度や人員配置をせざるを得ないのです。こうなってくると、さらに愚かな国民が増え、平穏な生活を維持する事は出来なくなると言っています。この事は企業運営においても同じ事が言えるのではないでしょうか。自由と言う言葉を間違って理解した職員が集まった集団では、組織として維持をする事は出来ないでしょう。

 

 では、自由とは何かと言うと、福沢諭吉は「自由は自分勝手と言うことではない」と言っています。自分の立場にもとづき、人間関係を大切にする。つまり、自由と自分勝手の違いは、他人の事を思う気持ちが有るか無いか......なのです。自分に任された仕事だけを完成させれば、後は何をしても良いかというとそうではない。仕事の仲間が困っていれば、それを助け、また、新入社員がいればこれを教育する。こうした普段任されていないことも自らの立場に基づいて、上司から指示されなくても自ら行動する事が自由な行動なのです。  「自由にものが言える人になれ」とは、自分の立場を考えて、規則に従った上での発言をしなければならないし、逆に間違った方向へと企業が進んでいる場合には、たった1人でもこれを直すため、嫌われても発言をしなければならないのです。