諫言(かんげん)に耳を傾ける                                                                                       平成25年1月25日
 複式簿記は大航海時代にヨーロッパで生まれた記帳方法です。この記帳方法は現代においても最高の記帳方法で、世界中で利用されています。  複式簿記では、必ず取引を借方と貸方に分けて記帳します。取引を分けて考える事により、それぞれ分けたものを合計すれば、必ず同じ合計に成ることを確認する事ができます。これは「人間は誰しも間違うことがある」事を前提としているからです。また、粉飾処理や脱税行為のように、記帳方法を利用して自ら偽装をしてしまうような場合には、簡単に発見する事が出来ない事がありますが、必ず帳簿には不自然さが残ってしまうのものです。
 どのような偉大な人物であっても、人間である以上ときとして間違いを犯すものです。ましてや現代のように、多種多様な考え方の中で生活をしていますと、昨日と今日とでは判断が変わったり、集まった集団によっては価値が変わったりするものですから、大変難しものです。ですから、これを冷静に判断する為には、一人で全てを考えるのではなく必ず正してくれる人物が必要となります。こうした、目上の人の過失などを指摘して忠告することを諫言と言います。
 中国の古典に「天下に争臣七人あり。無道なりと雖も、その天下を失わず」とあり、リーダーが道を誤り、はずれてしまったとしても、七人の争臣(主君の非行をいさめる家臣)がいて、過ちを正してくれるとあります。この時代の主君に対して、軽はずみに意見をすれば、自らの命を絶つ事も珍しくなったわけですから、どんなに意見を言ってくれと言われても、簡単には言うことが出来なかったことでしょう。たとえ主君に聞く耳が出来ていても、意見をする方がそれを理解していなかったら、決して主君に対して意見をする事は出来ないのです。争臣とは、自らの命をかけて主君に対して意見をする本当の意味での家臣なのです。
 現代の経営においても、七人とまでは言いませんが、もしこのような争臣が一人でもいましたら、リーダー自身が気づかないうちに暴走したとしても、歯止めをかけることが出来るのでしょう。 上司が部下の忠告に耳を傾けることが必要である事は、誰しも知っていることでしょう。しかし、本音を言えば、上司も人間ですから部下の苦い忠告を聞くことはしたくないものであり、素直に聞けないこともあります。一方で、部下も権力を握っている上司に忠告をすれば、ばっさりとやられてしまう恐れがあるわけですから、決して言いたくて言う人はいないことでしょう。それをあえて、上司は耳を傾け、そして部下はこれを言わなければ成らないのですから、大変難しい事です。聞く方にしても、話す方にしても、こうした間柄になるには、組織の体制や規律の問題ではありません。普段の行動から少しずつ形成して行くものなのです。