足下を照らす
                                                              平成27年5月25日

「足下を照らす」とインターネットで検索をしますと、家電メーカーの広告が沢山出てきます。人が近づくと自動的に照明がついて、安心して生活をおくることが出来る便利な道具です。
 しかし、「足下を照らす」を言葉として検索をしますと、「脚下照顧(きゃっか-しょうこ)」と出てきます。これは、自分の足元をよく見よという意味です。他人に向かって理屈を言う前に、まず自分の足元を見て自分のことをよく反省しなさいと言っているそうです。
 
 たとえば、捕鯨問題(クジラやイルカの捕獲の是非に関する国際的な論争)もその一例です。
 欧米人から日本に対して捕獲は悪であると非難を浴びていますが、食用にしている他の魚は捕獲しても良いと考え、さらには牛や豚などは食用のために育てられているのです。これを問題とはしないところが、自分達の都合のいいように物事を解釈しているのでしょう。様々な文化、習慣そして民族の違いを受け入れることが出来ず、自分たちの考えをメディア等を使って実力行使に出てくること自体、大変恥ずかしいことではないでしょうか。

 普段の生活の中で、生きるためには悪い行いをしているところがあることは、誰でも理解しています。牛や豚を食べずに、野菜中心の生活をしている人であっても、植物だって生きている事を忘れてはいけないのです。
 私達の行いの全てが、他の生物に支えられて今があると思いますと、軽はずみにエコという言葉だけで片付けて、良いわけがないことが分かります。

 では何をしたら良いのでしょうか。その答えは、何が良いことなのか見つける努力をするという事です。なにが正解で、なにが不正解はわかりませんが、懸命に出した答えならば、それがおそらく正解なはずです。そして、自分のしていることを振り返る事が、結果的に成長につながるのです。

 私は、租税教育で小学校や中学校で話をさせて頂いています。その時に将来の夢を考えることはとても大切な事であることを伝えます。100年前の日本では、自由に職業を選ぶことが許されませんでした。その時代には、いろいろな夢を描いた子供達が沢山いました。しかし、現代のように自由に職業を選ぶ事が出来るようになったら、それを考えることが出来なくなってしまったようです。想像力が乏しくなってきているのかもしれません。
 これと同じで、何が正しいのかを意識して考えることはとても大切です。簡単に誰でも出来るようで、意識していないとなかなか出来ないことです。そう思いますと、今していることが本当に正しいのか、毎日が反省です。足下をよく見て生活をしなければなりませんね。