平成22年2月25日
いよいよ本格的な「迷の時代」がやってきました。今度の迷いの深さ、濃さは、これまでと違います。底なしの、暗く長い闇の時間が幕をあけたのです。・・・・100年に一度と言われるウォール街の大恐慌は、金融工学の失敗ではありません。それは、心の恐慌、神なき資本主義の必然の結果でした。
こんな文章で始まる一冊の本と出会いました。経済と言う言葉を理解する上で最も大切なものとして「人」「物」「金」が紹介されています。物とお金の流れを人によって作り、その流れを利用して世の中の物質的な発展を生み出す仕組みだと理解されております。こうした発展によって「世を治め、民を救う」ことができる事を意味しています。
しかし、現在の社会において本当に「人」「物」「金」だけで見る事ができるのでしょうか。朝起きてみたら、いつもの所に自分の車が無い。商品を販売しても、代金を回収する事が出来ない。それどころか、納めたはずの年金が記録されていないなど、様々なところで問題が生じてしまっている。つまり人が人を信用する事が出来なくなってしまっているのです。
確かに経済の中心となるものは「人」「物」「金」かもしれません。しかしそれは、その根本となる人と人との間における「信用」が無ければ全てが絵に描いた餅となってしまうのです。
自由競争社会だとか、市場原理だの、経済を語るうえでは必要なことかもしれませんが、実はこの自由競争にしても、市場原理にしても「信用」が前提となっていないと、そこからは何も生み出されないことに注意しなければなりません。
アダム・スミス(イギリスの経済学者、哲学者)の言葉に「資本主義経済においては、見えざる神の手への信頼が前提となっている。つまり、倫理なき市場原理は認められない。」と、説いているのです。売れれば何をしても良いのではありません。
信用というものは、簡単に出来るものではなく、またお金で買えるものでもありません。しかも、一度信用が出来たからと言って簡単にそれが無くなることもあり、とてもやっかいなものなのです。人に信用されるために努力を続けていくことはもちろんではありますが、それ以上に難解なものが、人を信用する事です。この信用する心を成長させるにも大変な努力が必要なのです。
簡単に人を信用することは非常に危険かもしれませんが、人に信用されるためには、実は人を信用することから始めなければならないのかもしれません。こうした心を成長をさせていくためにも多くの書物を読み、多くの人達と出会い、そして会話を楽しむようにしていきたいと思います。