道理は変化し続ける
                                                   平成23年5月25日

 冬が過ぎれば、春になる。物を投げれば落ちてくる。誰もが当然に知っていることである。知識と言うものは、こうした当然とされる事を一つでも多く覚えることである。

 無知な人間は、社会から受け入れてもらえないことが多い。なぜなら無知は知らないが故に、怖ささえも知らないからである。しかし、無知のために「なぜ物は地面に落ちなければいけないのか」と疑問をいだき、「地面に落ちない物を開発してみよう」となることもある。だから、無知な人間も無限の可能性を秘めているのである。

 人が集まって、集団となると、その中には必ず「ルール」が生まれてくる。このルールはほとんどの場合文章にされていることはなく、いわゆる「暗黙のルール」となるのである。そして、その人と人との間に生まれてくるルールは、いつしか「行うべき正しい道」としてそこに関わる人達の間で理解されていくこととなる。
 こうした集団に、ルールを知らない無知な人間が、新たに加わろうとすると、その暗黙のルールを知らない為に、これと外れた行いをし「おまえは道理が分かっていないな」と言われてしまうのである。

 しかし、白色の絵の具の中に、黒色の絵の具をほんの少しだけ垂らすと、どんなに少しの黒色であったとしても必ず濁った色となる。白色が当然と思っていた心の中に、その当然が少しずつ変化していってしまうこととなる。そして、その変化は良くも悪くも止めることは誰にも出来ないのである。

 人としての正しき道である「道理」についても実はこれと同じである。古くから当然とされている道理も、実は時代とともに変わらなければならない。しかし変化を好まないのが人間なので、何が何でも変わらないようにすることがあるが、これでは正しき道とは言えない物が多く存在するのもまた事実である。

 私達の社会では、多くの集団が存在し、その数だけ暗黙のルールが存在する。しかし、その暗黙のルールはイコール道理ではなく、しかも時代とともに変化をしていってしまうことを知っておかなければならない。自分たちの仲の良い仲間の中に、新たに加入した人間がいれば、その瞬間にどこか変化が生じてくるものである。これを拒み、自分たちのルールを押しつけようとしていけば、そこには必ず溝が生まれ、いつしか分裂をしてしまうであろう。でも、これも無常といえる社会の仕組みなのである。変化し続ける事に適応して行くには、かなりの努力が必要となるのでしょう。