必要としている人へ伝わる
平成24年9月25日
人に伝える技術は、格段に進歩しています。電話によって言葉で伝え、メールによって文字や写真そして動画を送ることが出来るようになりました。
しかし、こうして文章などによって伝える場合には、暗黙のルールが存在します。それは、送る文章を受け取る側が読み取ることができる内容とする事です。例えば「赤色」と書いても送る側と受け取る側では近い色を想像できても、同じ色を伝える事は困難です。これと同じように、その人の力、立場、そして環境などによって間違って伝わるか、それとも伝わらずに終わってしまう事も多々あります。
インドではカースト制度(ヒンドゥー教にまつわる身分制度)と呼ばれる身分差別によって国が成り立っていました。インドのシャカ族の王子として生まれたシッダルダは、身分差別への疑問を抱き、王族としての身分を捨て、悟りの道へと進みます。その後7年間の修行の末、悟りを開きます。インドでは悟りを開いた人の事をブッダと言いますが、人々はシッダルダの事をブッダと呼ぶようになり、またシャカ族の王子であった事から、シャカ様とも呼ばれるようになりました。日本で言うお釈迦様の事です。
お釈迦様の教えは、大変すばらしいものであることはご存じの通りです。しかしインドでは広まることはありませんでした。
中国の文化でも、良き教えが根付きにくい国民性を持っています。毎月、私の事務所で行っている勉強会へ見える方々が、常に疑問に思われていることがあります。それは、「なぜ中国の古典を学ぶのか」です。中国の様子を毎日ニュースなどで見ていると、大変残念な気持ちにさせられている方々も多いのではないでしょうか。デモ、暴力、破壊とまともな人間では考える事が出来ない様子がうかがえます。そのような国民性から生まれた教えを、改めて学ぶ用の事が有るのか。また、学ぶべき教えがあるのであれば、なぜその学びが中国の国民に広がっていかないのかと疑問に思われるようです。
人から人へ伝わるには、受け取る側の環境に大きく左右されてしまうからです。カースト制度によって国家を維持しているインドでは、お釈迦様の教えは都合が悪く、仏教が広がっていく事はありませんでした。また中国においても同じように、良い教えを覚える制度はありましたが、王朝が変わる度に全てが変わってしまう体質がありましたので、教えが根付く事はありませんでした。
ではなぜ日本にはお釈迦様であったり孔子の教えが根付いたのでしょうか。それにはいくつかの要素があったと思いますが、物事は伝わらなければならないところへ伝わる性質を持っているからです。人へ思いを伝えることは、例え良き教えであっても、なかなか難しいことです。