一枚の写真                                                                   平成25年8月25日 
佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男達が目に入りました。男達は60センチ程の深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。荷車に山積みにした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は当時の日本でよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも裸足です。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶けジューという音がしました。それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気が付いたのは。少年があまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。(インタビュー・上田勢子)[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]


 この写真をテレビ番組で見たとき、大変な衝撃を受けました。戦争の悲惨さなどは、本を読んだり、テレビを見たりするだけで、私には本当のところは理解をしていません。しかし、先人達は日本人が世界から認められる世の中を作っていただいたのだと、改めて感謝しました。日本人として生まれて、本当に良かったと思えました。
 戦争も終わり、経済的に豊かな時代になった現代、欧米に追いつき追い越せの勢いで、先進国の背中を見て欧米の考えた方を学ぶことで、成長をしてきたつもりでいました。しかし、経済成長と共に失われた文化もあったことでしょう。その失われた物とは何かを、この写真が教えてくれている気がします。
 今の時代の企業経営は、まさに我慢の経営かもしれません。少子高齢化、世界的な不況、災害による影響そして、増税へと進む税制など、世間話をしていても良い話など誰もしていません。しかし、まだまだ恵まれた国で経営をしていることを認識して下さい。たとえどんな出来事が起ころうとも、全てを受け入れ、これを克服して下さい。この日本で人として、経営者として、人任せにせずやらなければならないことは沢山有るはずです。