まずやってみなはれ
平成26年5月25日
皆さんも同様かもしれませんが、職場や住んでいる地域で色々な「お役」を受ける事があると思います。現在の私も複数の「お役」を受けているのですが、その仕事の約半分以上が会議をしているわけですが、大変多くの時間を会議に使われていると実感しております。会議には目的があり、その目的達成のために人が集まって議論を展開するのですが、これが長時間になると、いつしか目的から離れて、答え無き議論を繰り返すことになってしまう傾向があります。
国の行政機関の呼称として省(しょう)があります。中国等における行政区分の一種で、本来、中国における行政機関の名称で、現代の中国では地方行政区画のうち最上位のものを指します。
省(しょう)は省く(はぶく)とも読みますが、国の舵取りに会議が必要で有る事は誰しも理解していますが、この会議と言う物は、ほかっておけば増える一方となってしまう。だからこれをいかにして省くこと出来るかと言う思いを込めて、省(しょう)としたそうです。
また、有限会社志ネットワーク社の代表取締役 上甲晃氏のお話の中にもこんなエピソードがありました。
・・・松下幸之助の教えを思いだした。「目の前に白い粉がある。これが砂糖か塩か。見ただけでは分からない。何日も何日も議論を重ねた。時には専門家を呼んで研究もした。砂糖屋と塩屋の見学にも出掛けた。そのうち、みんな疲れ果てた。
物事はそんな進め方をするとうまくいかん。まず、舐めてみることや」。
「そもそも」と身構えると、事は必要以上に大げさになり、やがて手も足も動かなくなる。「まずやってみなはれ。」それがすべての出発点である・・・。
企業の経営でも、地域の集まりでも、人が集まればその意思統一を図らなければ事業が成り立たない事は当然の事です。どんなにインターネットによって伝達手段が発達した現代でも、会議を無くすことは出来ないでしょう。しかし、これが多いからと言って意思統一が図れるものでも無い、多くの人の意見が無秩序に飛び交い始めれば、これこそ統一どころの問題ではなくなってしまう。そうすれば時間もかかり、多くの会議を繰り広げる結果となるからです。
人はそれぞれに考え方や、立場そして経済的な理由を持っています。ですから会議を開いたからと言って、簡単に意思統一など図れる訳がない。会議のやり方を紹介する本やセミナーも沢山ありますが、人は何千年も昔から会議について悩んでいたのですから、おそらくそれらも役に立たない事が多いのでしょう。ではどうするか、これは仕切る役が全責任において意見を取捨選択し、最後には言い切る力が必要なのではないでしょうか。結果を恐れて決める事をしない仕切り役では何も進まない。仕切り役は資料を作るのが仕事ではなく、最後に決断をするのが仕事である事を忘れてはならない。そして、これに参加したメンバーは、たとえ意見の食い違いあったとしても、その仕切り役を孤独にせず共に「まずやってみる」ことが必要なのです。