企業の優劣は金額の大小ではない
                                                              平成27年9月25日

大きな敷地を保有する企業を見て「大きくて立派な企業ですね。」と会話をしている事はありませんか。
 企業には様々な形があり、人の結びつき方も同じものはひとつとしてありません。年商が何百億、何千億と上げている企業もあれば、そうでない企業も沢山あります。そうしたなか、「この企業は、年商100億円の素晴らしい企業です。」とか「本社が10階建てで、支店が全国にある素晴らしい企業です。」と私達は自分達の勝手な価値判断で、「あの企業は良い企業」としてしまうことがあります。何を基準に立派な企業としているかが疑問に思うのです。

企業経営の善し悪しを判断する時に、先ずは過去3年分の決算書を並べ、数字的な統計を作り上げます。その作られた比率を基に「何が良くて、何が悪いのか」を検討する事があります。そして、同業他社の比率と比べて、さらに検討を重ねていきます。こんな事が日常的に行われている事が、大変多くあります。
 決算書の作成に利用される「簿記」は大変素晴らしい技術です。現在これ以上の記帳技術は存在していませんから、世界中で簿記の導入がされて行っています。しかし、この簿記にも表すことが出来ない物が多々あります。例えば人にかかわるコストです。人材育成に使われる研修費や、研究費については、短期的なコストとして、支払った月の経費として取り扱われます。しかし、昔から持っている固定資産については、これの利用価値は表現されず、取得した当時の購入費が計上されたままとなっています。当然ながら、研修費や研究費は、将来における収益確保のための費用でありますから、企業にとっては財産として計上すべきはずの物が、財産としては認識されていないのです。これは会計におけるルールに基づいて行われていますので、決して法律に違反をしている訳ではありませんから、問題となることもありません。しかし、この数字に基づいて経営の善し悪しを判断している事でおかしくなってしまうことが有ります。それは、過去の実績の善し悪しを判断するのは長けている決算書ではありますが、ここから未来が見えるかといいますと、これも一つの参考資料としてあるに過ぎないのです。
 では、何が企業の善し悪しとなるかといいますと、どなたの言葉か忘れてしまいましたが、「大きな金額を手に入れた人だけが良い人ではない、小さくても心が素直であれば、その大きさには変わりはありません。」つまり、金額の大小、人の数、ましてや不動産の大きさなんてものは善し悪しの判断をする上では全く関係ありません、あるのは人に対して優しいか、社会に対して優しいかであって、全てが嘘偽りのない経営をしているかが問題なんだと言っているのです。
 大きな金額や大勢の方が動こうとしているとき、これは特別だからと思うことが有るかもしれませんが、実は小さな金額であっても大切な行いであり、その大小には特別はなく、ましてや優劣もないのです。
 数字的な大きさを目指すのではなく、人としての成長を目指し、結果としてそこに人が集まってきます。それが目指すべきところで有って、金額だけを追いかける経営ではおそらく目標を見失うこととなるのではないでしょうか。